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「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産に

文化庁文化資源活用課 文化遺産国際協力室

第44回世界遺産委員会拡大会合において、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、我が国25件目(文化遺産としては20件目)の世界遺産に登録されました。

第44回世界遺産委員会拡大会合

2020年に開催予定であった第44回ユネスコ世界遺産委員会は、新型コロナウィルス感染症拡大を受け延期となっていましたが、本年7月16日~31日に2020年及び2021年の2年分の議題を審議する、拡大会合という形で開催されました。中国の福州が主会場ではありましたが、初めてオンライン形式(パリ時間)での開催となりました。

新規案件の推薦(既登録資産の拡張含む)については、2年分で計45件の推薦書が提出され、事前に取り下げられた案件を除く39件の審議が行われました。審議の結果、日本の推薦案件である「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」を含む自然遺産5件、「北海道・北東北の縄文遺跡群」を含む文化遺産29件の計34件が新規登録されました。今回の登録により、日本の世界遺産は計25件(自然遺産5件、文化遺産20件)となりました。

一方で、危機遺産リストに記載されていたイギリスの文化遺産「リヴァプール海商都市」は、近年の開発による影響が改善されず顕著な普遍的価値が失われたとして、世界遺産一覧表から抹消されました。世界遺産の抹消事例は、オマーンの自然遺産「アラビアオリックスの保護区」、ドイツの文化遺産「ドレスデン・エルベ渓谷」に続き3件目です。これにより、世界遺産は計1154件(複合遺産39件、自然遺産218件、文化遺産897件)となりました。

以下では、新たに世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」について紹介します。

農耕以前の人類の生活の在り方を示す考古遺跡

「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、北東アジアにおいて1万年以上の長期間にわたり継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始、発展、成熟の過程及び精神文化の発達をよく表しており、農耕以前における人類の生活の在り方を顕著に示しています。

本資産が位置する北海道・北東北は、山地、丘陵、平地、低地など、変化に富んだ地形であり、内湾や湖沼及び水量豊富な河川も形成されています。本資産の属する縄文時代には、ブナやミズナラ、クリ、クルミなどで構成される冷温帯落葉広葉樹(北方ブナ帯)の森林が広がっていました。海洋では暖流と寒流とが交差することによって豊かな漁場が生まれ、サケやマスなどの回遊魚が遡上するなど、恵まれた環境にありました。

人々は、この環境の下で育まれた豊かな資源を管理しながら利用し、食料を安定して確保するとともに、採集・漁労・狩猟を基盤として約15000年前から土器を使用して、定住を開始しました。その後、気候変動及びそれによる海水面の上昇・下降、火山噴火などの環境の変化に巧みに対応しつつ、集落を形成し、発展させ、成熟させました。本資産はその変遷過程を、物証をもって余すことなく説明することができます。

さらに、墓地、環状列石、貝塚、盛土遺構等の祭祀的な空間や構造物を構築・発展させ、母性を表現したとされる土偶に見られるような独特の精神文化を育み、成熟した定住を営みました。

このように本資産は、農耕に移行することなく採集・漁労・狩猟による生活を続けながら集落を発展させ、特異な祭祀・儀礼空間を築いてきた人々の、非常にユニークな生活と信仰、生業の多様な形態を今に伝えています。とりわけ、人類の生活史上、狩猟・採集社会は移動生活、農耕社会以降は定住生活というのが一般ですが、こと縄文の人々は豊富な森林・水産資源を背景に、狩猟採集を基盤とする定住生活を営んだという点で、人類史の「常識」を覆す稀有な例と言えます。

北海道・北東北の縄文遺跡群」構成資産紹介

本資産は、北海道・青森県・岩手県・秋田県に位置する17の考古遺跡から構成されます。1万年以上という長期間にわたり存続した本資産は、定住の開始・発展・成熟の段階によって6つのステージ(3つのメインステージと、それぞれ2つのサブステージ)に分類され、17の構成資産はそのいずれかのステージに位置付けられます。

ステージⅠa:定住の開始・居住地の形成

大平山元遺跡(青森県外ヶ浜町)では、北東アジアで最古級の約15000年前の土器が、石鏃及び旧石器時代の特徴を持つ石器群とともに出土しています。重くて壊れやすく持ち運びに適さない土器の出現は、定住の開始を示すものと考えられます。石鏃は弓矢の出現を示しており、狩猟対象獣が遊動的な大型哺乳類から中小型の哺乳類に変化したことがうかがえます。竪穴建物などの本格的な居住施設は伴わないものの、石器を製作した場所や調理に用いた土器片の広がりが確認されています。当初の居住地は、食料資源および石器の原料が得やすい河岸段丘上の高台に立地しています。

ステージⅠb:定住の開始・集落の成立

約11500年前からの温暖化に伴い、本地域では生物多様性に富む北方ブナ帯の森林が平野部や海岸線まで広がり、海域では寒流と暖流が交差することで豊かな漁場が育まれました。食料資源が安定したことで、長期間の定住が可能となり、集落数が増加します。

垣ノ島遺跡(北海道函館市)では、竪穴建物による居住域、大型の合葬墓と単独墓からなる墓域が形成され、日常と非日常の空間が分離したことを示しています。墓には、この地域に特徴的な幼児の足形を押し付けた粘土版が副葬されることがあり、当時の葬制や精神性を示しています。

ステージⅡa:定住の発展・集落施設の多様化

気候が安定化したことにより、集落は海岸部や湖沼地帯、河川域に展開するようになります。集落には貝塚や捨て場、貯蔵穴など定住を安定させるための多様な施設が形成されるようになります。

北黄金貝塚(北海道伊達市)や二ツ森貝塚(青森県七戸町)では、貝塚の地点や層位により堆積物の組成に違いが見られ、海進・海退による環境変化に適応した人々の生活を知ることが出来ます。他にも動物の骨や角でつくられた骨角器が出土しており、貝塚は祭祀場としての役割も持っていたと考えられます。田小屋野貝塚(青森県つがる市)では、ベンケイガイ製の貝輪(腕輪)の未製品が多数出土し、集落内で貝輪の製作が行われていたことが明らかになっています。

ステージⅡb:定住の発展・拠点集落の出現

時代が進むと、多様な施設を持つ集落が、一定の地域の中核的な役割を担う拠点集落となり、大規模化していく様子が見られます。特に、長期間かけて形成される盛土遺構が発達し、墓も組石遺構や小型の環状列石を伴うものが見られるようになり、多様な祭祀・儀礼の様相がうかがわれます。

三内丸山遺跡(青森県青森市)は、長期間継続した大規模な拠点集落で、盛土遺構から膨大な量の土器・石器、土偶などの祭祀用の道具が出土しています。大船遺跡(北海道函館市)では、盛土遺構を挟むように貯蔵施設や墓域が配置され、祭祀場を軸とした集落形成の在り方が確認されます。御所野遺跡(岩手県一戸町)では、盛土遺構から焼けた動物骨、クリ・トチノミなどの堅果類が出土し、火を用いた祭祀が繰り返し行われたと考えられます。

ステージⅢa:定住の成熟・共同祭祀場と墓地の進出

紀元前2200年頃の一時的な冷涼化の影響により、集落規模や居住環境が大きく変化します。集落は小規模化するとともに分散し、これまで生活空間としての利用が少なかった丘陵地や山地にも人々が進出していきます。分散化した集落の結びつき(紐帯)を強めるため、共通の祭祀・儀礼の場として墓域を伴う環状列石が構築されるようになりました。

環状列石は、近隣に集落遺跡が見られないため、地域内の複数の集落によって構築・維持・管理されたと考えられます。単独で複雑な配石遺構を持つ小牧野遺跡(青森県青森市)、多量の祭祀具を伴う4つの環状列石を持つ伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)、2つの環状列石の周囲に掘立柱建物跡や貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置される大湯環状列石(秋田県鹿角市)など、環状列石には多様な在り方が認められます。入江貝塚(北海道洞爺湖町)は、祭祀場や墓地を支えた集落の典型として捉えられます。

ステージⅢb:定住の成熟・祭祀場と墓地の分離

さらに時代が進むと、共同の祭祀・儀礼の場から墓地が独立して形成されるようになり、葬送に関する儀礼が特化する様相が見られます。

北海道では、複数の墓を大規模な土手で囲む周堤墓(キウス周堤墓群(北海道千歳市))が発達します。環状列石(大森勝山遺跡(青森県弘前市))も引き続き構築されますが、墓域とは別に形成されます。高砂貝塚(北海道洞爺湖町)は、土偶や供献土器を伴う土坑墓と配石遺構で構成される共同墓地、亀ヶ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)は、玉製品の副葬や赤色顔料の散布が見られる土坑墓と、土偶や漆製品など多彩な祭祀遺物が出土する祭祀場(捨て場)からなる共同墓地です。是川石器時代遺跡(青森県八戸市)は、竪穴建物、捨て場、水場など多様な施設を伴う集落遺跡です。精巧な土器や土偶をはじめ、弓や櫛、腕輪、容器などの漆製品が多数出土し、高い精神性と優れた工芸技術を知ることができます。

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