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JICA海外協力隊現職教員特別参加制度20周年
~日本の教育現場で活躍する帰国隊員~

文部科学省大臣官房国際課

現職教員がその身分を保持したままJICA海外協力隊に参加する本制度は、創設から今年で20周年を迎えます。同制度を通じ派遣された教員の帰国後の活躍を御紹介します。

「JICA海外協力隊」は、日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が1965年より実施している事業であり、開発途上国からの要請に基づき、技術・知識・経験を持つ方を約2年間現地に派遣することにより、国際協力活動を促進する制度です。

このJICA海外協力隊の枠組みにおいて、2000年の文部科学省の国際教育協力懇談会の報告を受け、JICA・外務省・文部科学省三者の協力の下に、現職の教員が、その身分を保持したまま参加できる「現職教員特別参加制度」(以下、現職参加制度)が2001年に設けられました。現在までに、1400名以上の教員が本制度を通じて派遣されています。

制度設立当時の議論を振り返ると、教員が、途上国における開発協力を担う重要な人材であると評価されていることはもちろん、教員が国際教育協力に従事することによって、コミュニケーション・異文化理解の能力を身につけ、帰国後、国際化のための素養を児童・生徒に波及的に広めることや、自身の経験を教育現場に還元することによって、我が国の教育の質を高めるという期待もあったことがわかります。

今年2021年、現職参加制度は20周年を迎えますが、この間に、日本の教育を取り巻く環境は大きく変わりました。例えば、日本の小学校に在籍する外国人児童数は、提言がなされた2000年には約4・5万人でしたが、2020年には約7・1万人に達しています(出典:学校基本統計)。また、2017年~2019年に改訂された学習指導要領の前文において、「持続可能な社会の創り手」の育成について明記されたことを受け、ESD(持続可能な開発のための教育)の一層の推進が期待されています。こうした中で、海外協力隊として、途上国で国際教育協力を担い、グローバルな視点を培ってきた教員が、日本の学校現場において活躍する場はますます増えています。このような観点から、文部科学省としては、現職参加制度の活用を促進しています。また、各教育委員会では、教師の採用選考において、海外協力隊への参加や日本人学校等での勤務経験など、国際的な活動経験を有する者等に対し、その経験や技能・実績を考慮した採用選考も行われています。

実際に、現職参加制度で派遣された教員は、帰国後、どのように日本の教育現場で活躍しているのでしょうか。今回、JICAより推薦のあった4名の教員より、活動報告を頂きましたので、御紹介します。

JICA青年海協力隊事務局からのメッセージ

「現職教員特別参加制度」が20周年を迎えました。途上国の開発のために教育の果たす役割は大きく、JICAは、教育現場への支援の一環として、JICA海外協力隊の派遣を行っています。途上国では、教育者としての資質や経験を有する人材への一貫したニーズがあり、本制度を活用した現職教員の先生方が、これまで世界各国で活躍してきました。

加えて、この20年間で日本国内の各地域や産業界でもグローバル化、多文化共生が加速しており、グローバル人材としての資質を備えたJICA海外協力隊経験者に対する期待がますます高まっています。これまでに帰国した現職教員の皆様には、日本の教育現場において、国際貢献に対する崇高な情熱とともに、御自身が途上国で経験した多くの挑戦と失敗、感動や共感に基づいて、次世代を担う若者に異文化理解や多文化共生について御教授いただいてきました。例えば、日本の子供たちの世界観を広げる取組として、子供たちと任国で活動中の協力隊とを文通でつなぐ等、協力隊ならではの発想力で御活躍いただいております。

JICAとしては、御自身の知識や技術を生かし、開発途上国とその人々のために貢献したい、という志を持つ現職教員の皆様に感謝し、その実現を支援するとともに、我が国の教育及び多文化共生社会の実現に貢献できるよう、今後も本制度を意欲ある教員の皆様に御活用いただけることを願っています。

坪内 昌子 先生
(京都市教育委員会・小学校校長
 ホンジュラス共和国・1989年度・小学校教育)

私の隊次は元年度一次隊です。しかし令和ではありません、平成です。当時は、現職参加制度はなく、特別な場合を除いて、退職しての参加でした。現職参加制度ができるまでに、多くの方々の努力があり、また、帰国隊員への期待が大きかったことを今になって感じています。インターネットも携帯電話も普及していなかった平成元年。現地では孤独との戦いでした。しかし、その戦いが今の私の原動力になっているのかもしれません。

私の職種は小学校教諭でした。要請内容は、ホンジュラス教育省に所属し、教員の指導力を向上させることでした。決して子供への指導ではありませんでした。小学校教育は、国の基礎を築くものです。小学校教育に外国の力を導入しようとしていることにその国の教育力を垣間見ることができます。それでも自分に何かできるのなら、と協力隊に応募しました。合格し、退職も仕方ないと思っていましたが、「今の学校に必ず戻ってくること」を念押しされ、学校長が教育委員会との交渉を進めてくださいました。そして決定したのが外務省の派遣制度を利用した派遣でした。教師として派遣され、教師として帰国し学校に戻る。私への評価、派遣法で派遣された人の評価は、帰国後の活動にかかっていると思いました。私が協力隊員としてホンジュラスに行けたのは、私の力ではなく、JICAの支援の恩恵なのです。現地での経験をいかに日本に帰国してから日本の子供たちに伝えられるかが活動の本意なのです。そのことを理解できず、自分の力で派遣を実現させたと思う帰国隊員が少なからずいることを残念に思います。帰国隊員の活動が、少しうまくいっていない原因はそんな思い違いからではないかと、校長として帰国隊員の様子を見ていると思います。

任国で、チョルテカという海抜0メートルの暑い任地で、「算数プロジェクト」を始めました。地区ごとに選抜された先生方へ算数の指導法の教授を行いました。つたないスペイン語で思うように伝えられず、ジレンマに苦しむこともありました。しかし、『学習の効果が出ないのは子供のせいではない。教師の指導法によって学習の成果は上げられる』この理念を基に2年間指導してきました。私が帰国してからも「算数プロジェクト」として継続し、その成果が今世界の国に広がり、小学校教師の協力隊の募集は増えたように思います。

今は京都市で第一号の小学校再任用校長として働いています。校長という仕事は、協力隊として活動していた時と非常に似ている気がします。自分の置かれた状況への適応力・情報収集した後の判断力・そして行動力。任国と日本では状況が異なると思われがちですが、私は任国も日本も必要な力は同じであるように感じます。

また、帰国隊員やJICA主催の教師海外研修参加者を会員とする「京都市国際教育・グローバルキッズ研究会」の会長も務めています。帰国隊員が日本の教育現場に適応できずに辞めてしまうケースも少なくありません。時間の感覚が戻らないままに現場に復帰し、大きな期待と仕事に悩まされているケースもあります。しかし、日本でもう一度教育という仕事の偉大さを感じ、実践するためのエネルギーを蓄えてほしく活動しているところです。協力隊員としての真価が問われるのは帰国してから。『どこか違うな』と思われる教師像を求めて仕事に取り組んでいきたいと思います。

阪井 園子 先生
(神戸市教育委員会・小学校主幹教諭
 カンボジア・2007年度・小学校教育)

私は、2007年6月カンボジアに現職特別参加制度を通じて派遣されました。現地の小学校で、子供たちや先生方に音楽・図工・体育を教えた1年9か月でした。この経験はもちろんのこと、JICAや青年海外協力隊兵庫OB会(以下、OB会)との繋がりが、帰国後の私にとって、国際理解教育を行う上で、大きな財産となっています。

帰国した私は、JICA関西が近くにある小学校へ赴任しました。一方、OB会で同志とも言える先輩OBとの関りを深める中、会長職を頂くことにもなりました。OB会では、毎年、兵庫県から派遣されている協力隊員に、OBと兵庫の子供たちからのメッセージを郵送し、返信をもらっています。地球の反対側や今まで知らなかった国から、自分宛の手紙を受け取り、クラスの中で共有することで、子供たちの世界観が広がる取組です。子供たちにとって、グローバルマインドを育み、将来、国際社会で活躍できる地球市民としての一歩としたいという思いから、勤務校の3年生の総合的な学習の時間「Hello the World」において、同取組を基に「グリーティング・カード・プロジェクト」を実施しました。これは、8年間継続することができました。

その後転勤した現任校では、2018年度に、JICA主催の国際理解教育・開発教育の実践者・指導者を対象とした研修に参加し、研修の一環として、SDGsをテーマに、6年生の授業実践「摩耶っ子SDGsにチャレンジ」を行いました。国語科「未来がよりよくあるために」で見付けた「自分たちの気付き」とSDGsを結び付け、チームで全校生に対してアクションを起こすという活動です。日本で教育を受ける子供たちにとって、世界で起こっているグローバルイシューを実感することは多くありません。最近テレビでもよくSDGsが取り上げられるようになりましたが、当時は職員にも子供たちにもあまり認知されていませんでした。「遠い国で起きた遠い話」ではなく、問題を「ジブンゴト」として考えられる学びを作りたいと思い、取り組みました。

昨年度は4年生担任として、社会科との横断的学習「みんなにとどけ!エコメッセージ」を行いました。ゴミや水の学習をSDGsに結び付け、エコメッセージを込めたポスターを作成し、企業が実施するエコ絵画コンクールにも応募しました。他にもこの2年間は、5年生にもSDGsの導入授業を行っています。その中で「自分でももっと何かがしたい。」「もっと世界に目を向けようと思った。」などの子供の感想があり、手ごたえを感じました。現在では、SDGsに関して、神戸市内で活動する外国語・国際教育部の仲間とも研究を進めています。

今の教育現場では、ともすればするべきことに忙殺される日々に終わってしまいそうになります。しかし、教育において、教師も子供たちと共に成長することが大切だと思います。日々成長する子供たちによりよい教育を行うためにも、自分自身の人生が充実し、ワクワクしながら生きる大人でありたいと思っています。世の中にはバーチャルな情報が満ち溢れていますが、私の心を動かしてきたのは、リアルな人、物、そして出来事との出会いでした。そのきっかけとなった、海外協力隊には心から感謝しています。協力隊活動より、帰国してからの方がずっと長いということをOB会の先輩に教えて貰いました。まさに帰国後12年間、JICAやOB会との繋がりがあったから、教育活動が広がっていったのです。これからも私自身が、人とそして世界と繋がり続け、自分らしく生きていく中で、子供たちと広い世界とを繋いでいくことができればと願っています。 

岩塚 善哉 先生
(名古屋市教育委員会・中学校教諭
 ナミビア共和国・2018年度・小学校教育)

私は、現職参加制度によって、ナミビア北部に位置するオカハオという地域に派遣され、33校を管轄する教育支所で、現地の授業力の向上や教材開発などに取り組みました。日本で8年間の教員経験を積んだ上での派遣だったので、現地の小学校を巡回し、授業のアドバイスや教材の紹介などを行う際、日本での経験が大変役立ちました。現地の先生の中には、自信をもって授業を行っており、外国人の私に対して、良い印象でない先生もいらっしゃいました。こうした環境の中で、日本での教員経験を活かした提案や、よりよい教育手法の紹介ができたことで、受け入れてもらえるようになりました。そのほか、日本の在籍校の生徒たちには、ナミビアの日々の生活や文化などを紹介する「ナミビア通信」を毎月送付し、異文化に興味をもってもらうことができました。

ナミビアから帰国後、日本の中学校に復帰し、総合的な学習の時間において、国際理解教育を実施しました。日常におけるつながりを感じてほしいと思い、「日本と世界のつながり」というタイトルで、授業を行いました。例えば、「学校に行くこと」「水や電気が使えること」「近くにお店があること」などの日本人にとっての当たり前を投げかけ、海外では違うことがあることを伝えました。特にアフリカでは、電気が通っていない地域があること、水を毎日井戸から汲み、運んでいる人々がいること、学校に毎日通うことができない子供がいることなど写真を交えて話しました。昨年度は、コロナウイルス感染症の影響で、日本の生徒たちも学校に行けなかった期間があり、日常の生活が普通ではなくなったことを改めて考える時間にできました。

そのほかに、「もしも輸入や輸出ができない世界だったら?」というテーマのもと、どんなことが起こるのか考えさせました。生徒たちの身近にある筆箱や靴などがどこで作られているのか確認させると、靴は「ベトナム」、筆箱は「マレーシア」、など、ほとんどの製品が海外からの輸入品であるとわかりました。調べ学習では、SDGsについて、グループに分かれて発表をしました。「エコバッグを使う」「募金をする」などの声があり、今の暮らしと世界がつながっていることを一年かけて深めました。

最後に、私は、子供たちとのかかわりの中で、少数派の立場にも耳を傾けることのできる人間でありたいと思っています。私がナミビアで生活しているときに、街に唯一の日本人ということで、じろじろと見られたり、いわれようのないことを言われたりすることがありました。こうした経験により、日本に住んでいる外国人の視点に立ったり、マイノリティの方の気持ちになって考えられるようにもなりました。話をしたり、写真を見せたりすることはできますが、実際に経験しなければわからないことが多いと思います。聞くより見るより自分で経験をすることで、人の痛みもわかるようになると思います。これからの多様な社会において、勇気を出して挑戦してみようと思うような子供が一人でも増えてほしいと願っています。

中田 貴之 先生
(静岡県教育委員会・高校教諭
 マラウイ共和国・2012年度・青少年活動)

私の主な活動は村にある11の小学校を巡回指導しながら、情操教育の指導法を現地小学校教員に指導することでした。教員向けのワークショップだけではなく、直接授業をすることも多くありました。放課後にはクラブ活動として、現地の先生方にも手伝ってもらいながら日本文化の紹介などもしていました。そして、校外活動では、マラウイ共和国初の合唱コンクールも開催しました。

そもそも私が協力隊に参加したのは、授業で途上国について扱ったことがきっかけでした。その頃は土日も部活動で休みもなく、授業の準備もままならず、すぐに手に入るインターネットの情報を安易に教えていました。途上国の現実を薄っぺらい知識で伝えていたのです。そんな自分がすごく嫌で、また英語教師として海外の現実をきちんと伝えたいと考え、参加を決意しました。教師になって以来、生徒に知識や経験を「出して」きたので、この2年間は新たな経験を「入れた」期間となりました。

帰国後、現在の勤務校で国際科を設置している吉原高校に赴任し、1年目は担任、2年目から現在まで国際科長として勤めています。私の経験を入れながら授業を行い、日常的に協力隊の経験を活かせています。また、「豊かさとは」というテーマで県内外の学校や地域で、また県教委の依頼により研修の場で講演活動をしました。現職参加制度での派遣だったので、情報発信は責務ですし、何よりマラウイの仲間のことを知ってもらいたいので、こうした機会は大切にしています。このような活動を通じて感じるのは、実体験からくる言葉の重みです。派遣前の薄っぺらい知識や経験ではなく、辛いこともあった中での実体験なので、生徒にも伝わると感じます。

そして、協力隊の活動全体を通じて得たことは、行動力と何より、「相談力」です。任地で、JICA職員の方から「行動が1週間遅れると企画が1か月遅れる、そして何もできずに終わってしまうよ、善は急げだよ」という言葉を頂きました。特に途上国では通信環境も悪く、現地の人とも文化的な背景が大きく異なるので、なかなか思うように事が進まず、良いアイデアが浮かんでも実行に移せず終わるケースは多々ありました。そのため、とにかく行動に移す、という意識が帰国しても役に立っています。また、任地では日常生活や活動でも現地の人々や他の協力隊員に協力してもらいました。当時40歳で、ほぼ最年長でしたが、知らないことが多すぎて、教育現場では知りえないことがこれほど多いのかと考えさせられました。一人の知識や経験は大したものではありませんが、相談して協力を得れば可能性は無限です。しかし、協力を当てにしてばかりでは協力してもらえませんよね。人が困っていれば協力する、という当たり前のことから生まれる信頼関係がいかに大切か考えさせられました。これはマラウイだからではなく、当然のことですよね。この行動力と相談力を活かして、本校国際科主催の公開講座を開いたり、地域の方々に生徒の体験活動を依頼したりしています。こうして、現在でも協力隊での教訓を活かして、新たな出会いを楽しんでいます。

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