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八坂神社本殿の国宝指定

文化庁文化財第二課

令和2年10月16日開催の文化審議会における文部科学大臣への答申により、八坂神社本殿が国宝に指定されることになりました。今回の答申では旧札幌控訴院庁舎など18件の建造物も重要文化財に指定されます。


一 国宝に指定されるまで

 文化財保護法は、国が指定する文化財のうち建造物と美術工芸品を有形文化財と分類しています。
有形文化財の指定には、国宝と重要文化財の二段階があり、重要文化財のうち特に優秀なものを国宝に指定する仕組みになっています。
 八坂神社本殿は、文化財保護法のもととなった古社寺保存法(明治三〇年制定)により、明治四四年に特別保護建造物に指定されており、戦後の文化財保護法の施行により、重要文化財に移行していたものです。我が国における文化財建造物保護行政のごく初期から重要な建物とみなされていた神社本殿といえます。
 今回の答申により、重要文化財(建造物)は二、五二三件の五、二四一棟、うち国宝(建造物)は二二八件の二九一棟となります。このうち八坂神社が所在する京都府内をみると、重要文化財は二九八件の六九八棟を占め、都道府県で第一の集積地域となっています。また国宝は五二件の七三棟で、件数では奈良県(六四件)に次いで第二位、棟数では奈良県(七一棟)を上回り第一位です。一方で一道一一県には未だ国宝の建造物が所在していません(各都道府県の国指定文化財の景況は文化庁ホームページを御覧ください。)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/shitei.html


二 八坂神社の由緒

 八坂神社は京都市街の中心部を東西に延びる四条通の東端に位置します。江戸時代までは祇園社と称し、疫病退散を祈願する祇園信仰の総本社として崇敬を集めています。貞観一八年(八七六)に奈良の僧円如が堂を建てたのに始まるといい、元慶元年(八七七)に摂政藤原基経が邸宅を寄進したとも伝えます。
 八坂神社を中心として催される祇園祭は「神輿渡御」と「山鉾巡行」からなりますが、神輿渡御は天延二年(九七四)に祇園社から大政所旅所へ渡御したのが始まりとされます。山・鉾など風流の巡行は室町時代に加わりました。祇園祭は応仁の乱で一時中断しましたが、明応九年(一五〇〇)には復興し、以後は祇園社と京の人々によって継承され、夏の疫病除けの祭りとして全国に普及しています。山鉾巡行は平成二一年に「京都祇園祭の山鉾行事」として国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産の代表一覧表に記載され、平成二八年の再提案により全国の三三祭からなる「山・鉾・屋台行事」として記載されています。
 八坂神社の本殿は何度か造り替えられましたが、現在の社殿は正保三年(一六四六)の焼失後、四代将軍家綱の命によって承応三年(一六五四)に再建されたものです。この後の修理は江戸幕府の支援を離れます。貞享三年(一六八六)の修理では資金の不足を氏子町の寄進で補いました。明和八年(一七七一)の修理では山町・鉾町が寄付集めに協力しました。文政四年(一八二一)には神輿渡御を担う轅町が修理を直接運営しています。このように江戸時代中期以降、八坂神社本殿は祇園祭に関わる人々によって維持されてきたのです。


三 八坂神社本殿の特徴

 八坂神社本殿の建築的な特徴は、その内部空間の複雑さと規模にあります。本殿の中心部には内々陣があり、床板を高く張り、南を正面に三戸の扉を並べて神座とし、中央に素戔嗚尊、東に妻の櫛稲田姫命、西にその子である八柱御子神を祀ります。この正面に板敷きの内陣がつき、東西の脇間とともに建物の中核部を形成しています。この四周を囲む板間を外陣とします。外陣の正面側は神職の祭式の場になりますが、側面と背面は通路空間です。外陣の前面いっぱいに取り付く礼堂は、表側半分に畳を敷き込んで、参拝者の座となります。ここまでが大きな入母屋造の檜皮葺きの屋根に覆われています。礼堂の正面には縁を張り出して木階を設け、これを覆うように屋根を葺き下ろして向拝としています。
 このような外観は寺院本堂にも似ていますが、八坂神社本殿は東西の両側面と北背面で軒下から檜皮葺きの庇を延ばしていて独特です。西の庇の内部は畳敷きの小部屋に区画して参拝者の待合いに用いられています。東の庇も畳敷きの小部屋が神職の控えの間となり、北端には装束を収納する納戸があります。北の庇は板敷きで、祭具置場に使い、背面の突出部分には流しがあって神饌を調えることもできました。このように中核部分の廻りに外へ外へと空間を加えるのは、平安時代の建物の拡大方法を彷彿させます。また、多様な空間が附加される様子は,平安時代から鎌倉時代の寺院建築の発展と並行するものと評価されています。
 八坂神社本殿のもう一つの特徴が立派な棚の存在です。内々陣の正面いっぱいに黒漆塗の棚が造り付けられています。さらに内陣正面にも棚が付けられており、こちらは剣紋と巴紋で飾っています。多種多様な供物を並べるための装置を建物が備える姿を見ることができます。現在は内々陣前と内陣前の二つの棚を備えていますが、一四世紀の本殿を描くと考えられている「祇園社本殿指図」(八坂神社蔵)ではさらに外側の外陣正面にも大きな棚がみえます。現在の八坂神社本殿は江戸時代前期の建立ですが、この建物の形は鎌倉時代には成立していたことが明らかです。建物の側面と背面に庇を付け加えること、建物の内部に様々な機能の部屋を取り込むこと、造り付けの棚を祭式の装置として備えることなど、中世の信仰と建築の形の関係をよく示しています。これらが江戸時代前期に幕府の直轄事業で建立された現本殿にまで踏襲されたことは、我が国の建築歴史の上で高い価値を有しています。八坂神社本殿が万民の願いである疫病退散を祈る祇園祭を担う人々によって今日まで維持されてきたことには深い文化史的意義が認められます。


四 祇園祭とともに

 今回の答申では、本殿の国宝指定に加え、境内にある摂社・末社の社殿や、舞殿・神輿庫などの付属建物、さらには市中にある旅所の社殿まで重要文化財に追加して指定することになりました。摂社・末社は、社殿の側背面に庇を付けたり、供物のための棚を強調したりと本社の特徴をそれぞれに取り入れ、結果として一体感のある境内景観を実現しています。同じような工夫は、祇園祭で神輿が渡御する旅所の社殿にもみられます。八坂神社らしさを目指した他に類のない建物群がそこにあります。是非現地をお訪ねください。

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