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国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について

文化庁文化財第一課

文化財第一課では、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料、歴史資料の七つの分野で、国宝・重要文化財の指定を毎年行っています。今年3月に新たに指定が決定した文化財の一部について、その概要を紹介します。

3月19日に開かれた文化審議会文化財分科会において、京都府法金剛院阿弥陀如来像など国宝4件、重要文化財37件の指定が決定しました。これで美術工芸品の国宝・重要文化財指定は国宝897件、重要文化財9,911件となります。

国宝
昭和25年の文化財保護法制定に伴い、それまでに古社寺保存法・国宝保存法によって指定された国宝は全て重要文化財と名を改められ、その中から新法の規定する国宝を指定してゆく作業が翌年から始められました。昭和30年代前半までにその作業は一段落し、その後は新発見や調査研究の進展、保存修理の成果などを反映させて適宜指定を進めています。

彫刻の部
木造阿弥陀如来坐像(院覚作)
宗教法人 法金剛院
待賢門院璋子(一一〇一~四五)を願主として創建された法金剛院の本尊像です。同院には三棟の阿弥陀堂が存在しましたが、本像はそのうち創建時の堂(西御堂)の像で、作者は当時の主流三派仏師のうち、定朝直系の院派の総帥である院覚です。内向的な表情や繊細な衣文線、細技をこらした荘厳具の装飾には当代の王家や貴族たちに求められた仏の姿が典型的にうかがえます。院政期の仏像のうち最も重要な作例の一つで、また保存状態の良好さも注目されます(平安時代)。

工芸品の部
鼉太鼓
宗教法人 春日大社
雅楽において中心となる楽器、鼉太鼓で、春日大社において毎冬恒例のおん祭りなどで使用されてきたものです。唐楽用で龍をあしらった左方と、高麗楽用で鳳凰をあしらった右方よりなります。左右で作風にやや差違があるものの、いずれも平安時代最末に通じるおおらかさと鎌倉時代の力強い造形性とを併せ持っており、高さ約六五〇㎝に及ぶその規模とともに、鼉太鼓を代表する作例として評価されます。(鎌倉時代)

考古資料の部
群馬県綿貫観音山古墳出土品
国(文化庁保管)
高崎市の東方、井野川西岸の平野に位置する六世紀築造の前方後円墳からの出土品で、石室から出土した副葬品と墳丘から出土した埴輪よりなります。副葬品には百済武寧王陵の出土品と同型の獣帯鏡をはじめ、銅水瓶や多数の刀剣類・装身具類、甲冑や金銅馬具等多彩かつ他に例のない希少な資料を含み、遺存状態もきわめて良好です。とりわけ多数含まれる独特な舶載品は、地方首長が独自に対外交渉を行った可能性を示唆する資料として注目されます。墳丘出土の埴輪も多種多様で、東国の古墳における埴輪樹立の様相を良く伝えています。古墳時代の東国社会を考究する上できわめて高い学術的価値を有する資料です(古墳時代)。

重要文化財
重要文化財の指定は絵画・彫刻・工芸品・書跡など旧法以来の分野に加えて、昭和50年の文化財保護法改正による歴史資料指定の開始や、近代遺産の指定の促進など、次第に対象とする範囲を拡大し、また近年では大量の資料群を一括指定する傾向が強まっています。

絵画の部
紙本金地著色夏秋渓流図(鈴木其一筆)
(公財)根津美術館
鈴木其一(一七九五/九六~一八五八)は江戸時代後期に江戸で活躍した、いわゆる「江戸琳派」の絵師で、近年では明快な色使いと、切れ味鋭い筆致、機知に富んだ画面構成から、江戸時代後期を代表する作家として重要視されるようになっています。本図は其一の支援者であった松澤家に伝来したもので、落款から其一が独自の画域に到達した四十歳代後半の作と考えられています。金箔地に鮮やかな青色の水流が特に印象的な本図は、其一を代表する大作として高く評価されます(江戸時代)。

書跡・典籍の部
中山世鑑・蔡鐸本中山世譜・蔡温本中山世譜
沖縄県(沖縄県立博物館・美術館保管)
琉球王国の正史である『中山世鑑』及び『中山世譜』の内容・伝来共に最良の写本です。『中山世鑑』は琉球王朝一〇代尚質王が摂政である向象賢こと羽地朝秀に命じて編纂させた琉球最初の正史で、和文で記述されています。『中山世譜』は漢文で書かれた正史で、『中山世鑑』を漢文に訳した上、増補した蔡鐸本と、蔡鐸の子、蔡温がこれに更に改編を加えた蔡温本の二種があります。いずれも戦後に米国から返還されたもので、琉球史研究上、極めて価値の高い史料です(第二尚氏時代)。

古文書の部
伊達家印章
仙台市(仙台市博物館保管)
旧仙台藩主伊達家に伝来した印章です。五代藩主伊達吉村を除いて、政宗から慶邦まで歴代一二人の藩主の印章が揃っており、かつ内容も知行宛行状や伝馬手形に捺された公印、書画に捺された私印に加えて、木製の花押印など多種多様であり、印章の一括資料として注目されます(安土桃山~江戸時代)。

歴史資料の部
東京市営乗合自動車(円太郎バス)
東京都(東京都交通局西高島平駅倉庫保管)
円太郎バスは、大正末期から昭和初期にかけて東京市が営業用の乗合自動車とした車輌で、大正一二年(一九二三)の関東大震災で被災した路面電車の代替交通手段とされました。アメリカより輸入されたフォード社製の貨物自動車用の車台に木製の車体が取り付けてあります。客室の形状や乗り心地が明治十年代に「円太郎馬車」と呼ばれた乗合馬車を思わせたことより「円太郎バス」の名で親しまれました。円太郎バス唯一の保存車で保存状態も良好であり、交通史上並びに社会史上に貴重な遺品と評価されます(大正時代)。

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